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非常に難しい問題

私の従兄弟にも同じようなことがあった。

男親男児と女親女児の双方子連れ再婚をしたのだが、、程なく破局。

最大の理由は子供同士の不仲

これを何とかしようとする親たちが、実子を贔屓にしているのではないかと悩んだ挙句の出来事。

案外、双方継子連れは難しいと思った例だった。

もっとも、中には子供同士で仲良くなり、親子で再婚結婚などという例もないわけではないようだが、これはレアケース、なのかもしれない。

そう言えば、故・藤田まこと氏の当たり役の一つで、女児の継子2人を抱えた女性と結婚し、その女性が早世し、血の繋がらない親子関係を双方苦労しながら構築していくサイドストーリーを持つものがあった。

養子の場合、両親が合意の上で迎えるだろうから、まだいい結果を生むのかもしれない。

しかし継子の場合、親とセットで動く分、ややこしいことになるのは確かだ。

私自身に置き換えてみてもそうだ。

もし実子と実子でない子供がいた場合、同じように扱いうるかというと、全く自信がない。

同じように扱っているつもりでも、第三者から見れば実子に、あるいは実子でない方に肩入れしているようにみえるかもしれない。

厳密に言うと若干違うのだが、ディビット・ジャンセン主演の映画「失はれた航海」という作品で、悩む親の姿が描かれている。

この映画、タイタニック号を舞台とした映画で、出港後に長ズボンをねだる息子に根負けして長ズボンを買い与えた男が、実はその息子は実子ではなく、長期不在中に妻の不倫で産まれた子と知る。

自分の子ではないと一度は突き放すのだが、沈みゆくタイタニック号で「女性子供」を優先的に救命艇に乗せていく中、自分は長ズボンを履いている、つまり子供ではなく大人だと主張し、船に残る。

そして父親と和解して共に沈んでいくという話。

この話では、ポイントが2つ。

一つ目は、実子ではないと突き放しながらも、突き放すことが酷ではないかと悩む父親の姿。

二つ目は、長ズボンの保つ意味。

英国の寄宿学校などの写真を見ると、学生は長ズボンを履いていない。

長ズボンは上流中流階級の成人を示すシンボルのようだ。

だから、年齢にかかわらず長ズボンを履くことを認められたものは成年扱い。

子供ではないから自分で判断し、「父親」と最期を迎える。

最初にこの映画を見たとき、ジャンセン扮する父親は酷く冷たいと思った。

だが、従兄弟の事例を観たあとで、再びこの作品を見る機会に恵まれた時には、苦悩と、最後には安堵する演技が見え、なるほどなと思った。

実子ですら分け隔てなく接するのは難しいだろう。

まして実子でないものであればなおさら。

実に難しい問題だ。

「継子をかわいく思えない」「継父の存在がいや」―「子連れ再婚」の実態と支援【著者インタビュー】