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私の好きなアニメの批判をしないで的な炎上漫画

 大好きなアニメが映画化されたので友人と見に行ったものの、友人がその映画の脚本や作画を批判したので、

「なんだかこのアニメをキライになっちゃった……」

と思うようになった人の漫画が、去年twitterにアップロードされていた。

 『私が大好きなアニメを見れなくなった理由』というタイトルでpixivにもアップロードされているので、いまでも読むことができる。

 

〜〜〜

 当該pixivページのコメント欄を見て分かるとおり、少なからず物議をかもした(意訳:炎上した)。

 当該漫画を読んだ誰もが、

「その程度で作品をキライになるんかいwww」

「友人も友人だけど、結局はあなたの脳内で解決できる問題にすぎなくなくなくない?」

「大切な思い出をぶち壊してるのは実は作者だった……? そうか、これがどんでん返しというテクニックか!」

「最後のページの後での作者の髪型うp」

遊戯王Arc-Vの悪口はやめてくだしあ><」

と思えてしまうのは、想像かたくないことだ。

 

 だけれどじつのところ、俺はこの漫画を読んだときに、

「不用意な批判はするもんじゃねーな……」

と感じていた。

〜〜〜

 「批判する」という言葉は、様々な場面で使われるものだ。

「国会中に居眠りするだなんて、国会議員としてありえないぜ!」

「誤診のせいで症状が悪化しちまったぜ! なんて医者だぜ!」

「この店のラーメンは味がやたら濃いぜ!」

遊戯王Arc-Vではキャラクターの心情変化が急すぎて、ただの情緒不安定な奴等にしか見えないぜ!」

などの表現も批判である。

 「文末の“ぜ”がリーダビリティを下げてる」というのももちろん批判だ。

〜〜〜

 それらの批判を行うことで最も変わってしまうのは、案外「それらの批判を受けた人」ではない。

 なにしろ、

「年を取れば、日中も眠い。それに国会中とはいえ、寝ていても問題ない時間帯に仮眠を取っておけば、その次の重要な議題で徹底的に討論できる」

「医学は自然科学のひとつなのだから、誤診はありえることだ。いくら努力しても、誤診をゼロにすることはできない。だからこそセカンドオピニオン等を活用して、患者が患者自身を守る手段が提供されている」

「今は濃い口ラーメンがトレンドだから、ダウントレンドの薄口は採用しない」

「情緒不安定でないキャラクターで遊戯王Arc-Vのストーリーの根幹を作っているのだから問題ない」

と思われて受け流されれば、それまでだからだ。

 人それぞれで事情や背景が異なるのだから、批判の受け入れ度合いもまた人それぞれである。

 だけれど「批判を行ったその人自身」は、そうもいかない。

 これまで漠然と思ってきたことであっても、

「会議中の居眠りなんてダメだ」

「誤診なんてダメだ」

「濃い口なんてダメだ」

「情緒不安定なキャラじゃダメだ」

と言ったり書いたりした時点で、その人のスタンスになる。

 それはまさに、

「オレならこーする」

という鋳型であり、「批判をしなかった頃の自分」には戻れない。

〜〜〜

 自分の言葉に縛られて何が困るかというと、

「俺が“ダメだ”と思うようなことはできない」

というまっとうな思考の末に、要らぬ不利益を被ってしまう点だ。

 明らかな睡眠不足の最中に会議でも、

「居眠りなんてダメだ」

と思って出席していたところ、頭が回らなかったためてきとーなことしか言えなかった……とか。

 他人の悩みの原因がAかBのどちらなのかを考える際に、

「誤った判断をしちゃダメだ」

と思ってしまい、

「AかもしれないしBかもしれない」

とアタリマエなことしか言えなかった……とか。

 料理を作るたびに、

「濃い口はダメだ」

と思うあまりに、味噌の入っていない汁を味噌汁だと言い張ってしまった……とか。

 お話を作る際に、

「情緒不安定なキャラがいてはダメだ」

と思った結果、どんな困難を前にしても動揺や葛藤を抱かずに物事を決定するキャラしか出てこない話になった……とか。

 そのような出来事が繰り返されるたびに、

「こんなんじゃ、俺の納得のいく会議/判断/料理/創作はできない」

と思って何も手につかなくなる……とか。

 『私が大好きなアニメを見れなくなった理由』にしても、

「こともあろうか、友人は私が大好きなアニメを批判をした」

と批判をしたのは、まぎれもなく作者自身である。そして、

「友人はアニメを批判をした! とんでもないことだ! あってはならないことだ!」

という思考の鋳型にとらわれた結果、アニメや友人は作者から離れていってしまった。

 ましてやああいう漫画を描いてしまった以上、友人との関係はそう容易くもとには戻らないだろう。

〜〜〜

 じゃあ批判をする際にどんなことに気を付ければいいかというと、おおむね以下のようになる。

・一般論ではなく、具体論で批判する

「チャーシュー10枚と牛脂100グラムが乗ってるダイエット用ラーメンが濃い口だなんてありえないぜ!」

(「自分を縛ろうと思っても縛れない批判」になる。批判を受ける側も「チャーシュー」「牛脂」「ダイエット用」などの切り口から新しい着想を得ることができる)

・批判と代案を一緒に伝える

「モヤシやメンマを300グラム乗せちまえば、むしろ濃い口が活きるぜ!」

(思考の鋳型を切り崩す糸口になる。批判を受ける側にも、「それは試す価値がある」「それをやってはみたがダメだった」などのスムーズな思考が促される)

・デュエルで決着をつける

「店長、デュエルディスクを構えな! 俺が勝ったら薄口にしてもらうぜ! デュエル!」

(デュエルとは、古今東西最もフェアな物事の決定方法である。加えて、自分自身の言葉に縛られかけても、一心同体の「相棒」とデュエルをすれば納得のいく結果になる)

〜〜〜

 不用意な批判をしないことで一番ハッピーになれるのは、己自身だ。

 そう思いつつ、かつてアニメの作画を叩いては絵を描けなくなっていた自分自身のことを思い出していたのであったとさ。

(おしまい)